家族のこと

2014.11.19 母方のお祖父ちゃんが81歳で他界してしまった。
会社でお母さんからかかって来た電話から聞いた。
電話の先のお母さんは泣いていた。
急ぎの仕事をして、入院していた病院に向かった。
いつもの部屋から移されて、お祖父ちゃんは口を開けていつものように寝てるみたいに横たわってた。

中学生になって、64歳でお婆ちゃんが亡くなった。
母方のお婆ちゃんお祖父ちゃんは共働きの両親に変わっていつも面倒みてくれてた。
夏休みや長いお休み、学校が終わって夕方までとかいつも。
中学生になって試験勉強してて、ゴールデンウィークになったら遊びに行こうね
とお母さんと約束してたら、ゴールデンウィークになる手前で亡くなってしまった。
ごめんね。って沢山思った。
お葬式をして一年後、修学旅行中にお祖父ちゃんが脳卒中で倒れた。
お祖父ちゃんは半身不随になって、あんまり喋れなくなった。
それから11年、お祖父ちゃんは沢山病院を転々とした。
お母さんは働きながら2日に一回病院に通って、お祖父ちゃんにいつも声かけてた。
私はそんなお母さんをみて、しんどいんじゃないかなといつも思ってた。
私は一、二週間に一回、休みの日に一緒について行ったけど、お祖父ちゃんは日に日に喋れなくなった。
この一年はたまに小さく話してくれたけど、
肺炎になってしまって点滴のみで栄養をとるようになってしまってから、
いつも苦しそうだった。
まんまるだったのに、骨のようにやせ細っていつも咳をしてて、よく熱を出して
息をはあはあとして苦しそうだった。
お母さんはいつもおでこに手を当てて、手を握っていつも話しかけてた。
お父さん、お父さんって。
わたしはどうしていいか分からずぼんやりみつめてた。
お祖父ちゃんはお菓子が大好きで、お菓子食べたいっていつも言ってたんだけど、
この一年、一切食べることが出来ず、最後の方は意識も朦朧で食べたいとも言えなかった。

もう危ないって何回も電話がかかってきて、行くたびになんとか乗り越えてきて
今回も大丈夫かもしれないって思ったけど、もうダメだった。
11年病院の中でずっと横になってて、寂しそうにしてて見てるだけでも辛かった。
一般論ではそんなの生きてると言わないって思われるのかもしれないけど、
生きてるだけでありがたい
私たち家族の大切な人だったんだと改めて失って思った。
お祖父ちゃんは半身不随になってもわたしの名前を呼んで笑ってくれたり、
私の描いた絵を何度も見て微笑んでくれた。

お母さんも私も病院に行かないって変な感じって言って涙ぐんだ。
お祖父ちゃんは何も話してくれないことも多かったしけど、
お祖父ちゃんに会いに行けるってありがたいことだったんだと思う。
もうこの世にはお祖父ちゃんもお婆ちゃんもいなくて、お母さんはとても不安だと思う。

親戚とも離れて生活してたのもあり、
お葬式は家族だけで、火葬のみ。
今日、お花を沢山敷き詰めて、お手紙を描いて
食べれなかったお饅頭と一緒に
病院に飾ってた似顔絵と一緒に火葬してもらった。
お祖父ちゃんの骨は11年の入院生活でやせ細ってた。
お祖父ちゃんが頑張って生きた証なのだと思う。
大好きなお婆ちゃんとやっと一緒になれて喜んでたらいいなぁ、
食べれなかった美味しいものいっぱい食べれますように。
そんなことを思いながら祈った。

お祖父ちゃんが意地悪なことしたのなんて一回も覚えてないぐらい
お祖父ちゃんは何しても優しかった。
家族に優しくしてあげた分、
辛かったこの11年分天国で幸せになって欲しい。
私もお祖父ちゃんが喜んでくれるような人生を歩んでまた天国で会おうねと祈りました。

いろいろ考えることは沢山あるけど、
どうか皆が幸せに生きて欲しいと本当に思う。

おじいちゃんの病院の近くの景色。
色づいたよ。
病院で見れなかったから今年は見てくれたらいいなあ。
胸が苦しくなった。